おにさんこちら、てのなるほうへ。






きてほしいやら
きてほしくないやら




薄い布越しに、踏み切った枝ががさりと揺れた。








 花粉症じゃなくてよかったなぁ、なんて犬忍の一人は耳を澄ませながら思った。地上はるか高く、枝の上を地上より速く走っている。犬の手も借りたいほど忙しく(故に犬士も容赦なく借り出されている)偵察に出たお庭番たちの情報を補足するようにあとから出た数多い犬忍が細かなところを埋めていく。



 重なる緑の葉はまだ若く青々としている。その柔らかな枝に片手を置いて勢いよくもう一段高い枝へと飛び上がる。木の肌に引っ掛けた足の裏が摩擦でほんのりと熱くなる。口布越しに白い息を吐くと、びりびりと僅かに風に触れる肌が何かを感じ取った。



 いつも生き物のざわめきに満ちた山が、何かを恐れるようにしんと静まり返っている。動物達にもわかるのだろうか。大きな恐ろしいものがこの国に訪れようとしていることが。動物達の生存本能は鋭敏で間違えようが無く、視覚に頼るより彼らの息づかいが聞こえるか、聞こえないかのほうがよっぽど、大きな意味を持っている。




 数百メートルおくれて侍たちもこちらに向かっているはずで、けれど別にそれにおびえるような愁傷な動物はこの国にはいない(断言)植物ですら、デッドアライブで、喰うか食われるかの国なのだ。











 走りながら情報集積場へと繋がったマイクに連絡をいれる。どこの場所まで動物達がいるか、声が聞こえるか、どっちから逃げてきているのか。
僅かな木々のざわめき、空気の流れ、ほんのわずかな差異を拾っては集積場へと送る情報にする。一つ一つの小さな砂粒に似たそれはあの深い地の奥で集められ、選別されまとめられ、練り上げ焼きあげ、研磨される。





ぷし、とくしゃみを一つ。



(アラダは見たくないなぁ)






 むしろ見たら終りだよなぁ、と深く息を。
けれど足は止まることもなく、揺れてしなる枝の上を軽々と踏みつけていく。後ろから来る侍たちがちゃんと作戦位置につけるようにたくさんの情報を早く送らなくては。






おにさんこちら

手のなる方へ

めかくしおにさん

手のなる方へ






 逃げることなど考えもしなかった遠くの雄叫びが耳に蘇る。普段どれだけへたれていようと、サムライも忍びも背に守るものがあるのだから逃げられるものか。お客人たちは絶対に守り抜いてみせる。口布の影で犬士はひっそりとわらう。





 軽く蹴った枝の先、重なり合った葉の間、小さな白い鳥が飛んでいった。





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