洞窟の入り口近く、濃い紅色の蕾をつけた枝に引っかかれた頬がじくじくと痛んだ。


足元で小石が砕ける。

 ひぃ、と息を吸うと暗闇に満ちた湿気が咽を優しく冷やす。近く遠く、ガシャリと鎧の擦れ合う音が岩に反響する。

追ってくるのだろう。
追ってきたのだろう。


何故こんなことになったのだろう。



 町から田園地域へとさしかかる人気のない路地裏に、ひっそりとそのポスターは張ってあった。

 地平線を埋める深い海の藍、遮るもののない満月がその水面に光の波をさらす。そこにおそらく男女であろうシルエットが浮かび上がっている。


【新たなる観光スポット、霊園DEカップル 夜で海の地平線で満月でひとけなし!口説くならここ!】


という、真っ赤な煽り文句はどうかと思ったが。そして微妙に血が滴ってる感じがなおのこと、どうなんだこれはと思ったが。まぁ、この国だしな、ということで納得した。(犯罪誘発するんじゃないかという突っ込みは心の隅っこに蹴りやり) ぐ、と拳を握って気合をいれる。


 次のデートにこに誘って、ムードを盛り上げてプロポーズだ!



 そう決心したのは今日の夕方で、下見ぐらいしておくかと…あぁそのときの自分を止めてやりたい。

 墓場など見に行くのではなかった。いくら地下をつたっていけばいいからといって。地平線の海が見られるからといって、満月だったからといって。

 墓場など、夜に見に行くものではなかったのに。




ガシャリ
と、音が近づく。

 墓地のある小島から掘ったらしい街中へと通じる洞窟は薄暗く、足元は悪い。僅かに角度のある暗闇はまるでどんどんと怪物の咽を走り降りるさまに似て。



ガシャリと
鎧がすぐ後ろで鳴いた。



絶叫が暗闇の中を引き裂いていく。

まるでここはヨモツヒラサカ。






「……なぁ」
「ぬ?」
「…墓場で夜で海で月でつり橋効果でカップル成立!…は、無理がないか」


 ものすごい勢いで走ったいった背中を眺め、一人でいたから声をかけようとしたらものすごい悲鳴を上げられた上に逃げられた。深紅の鎧をまとった(見回り中だから)機甲侍は、もう一人の侍にじと目を向けた。


「ヨモツヒラサカとはいいこと言うなぁ、丁度ここに入るところには桃の花があるしねぇ、あぁ駄目じゃん、あれ駄目になった夫婦だ」


 ぶつぶついいながらこの案は却下、と白黒侍は懐から出した紙の束にバッテンを付けて、指にはさんだ硝子のペン(二代目)をクルリと回した。


「…なーんかいい観光スポットとかイベントとかないと外貨がおちないよ!」
「生々しいな、をい」
「サイボーグで宇宙軍だとメンテや燃料で洒落にならんくらい金食うからなぁ」


 まぁ、それはそれとして、とがっしりと兜をつけていない頭を鷲掴みにする。赤い鎧の機甲侍はちょっとばっかし濡れていたりする。逃げていった彼、も鎧侍というだけでなら逃げはしないのだ、この国の機甲侍は生活に根付いているし。けれど、暗い海の中からざばーと姿をあらわし、ワカメやら昆布やらを引っ掛けた状態でそのうえ月明かりだったり、鎧が赤かったりすると、ちょっとしたホラーだろう。


「…えーと、痛いよ?」
「だろうな」
「…えーと」


 暗闇についうっかり見まわりの相方を海に蹴り落とした白黒侍は、あちこちに視線を彷徨わせたあと、ごめんなさいと素直に謝った。


 兜からびろんと伸びた昆布といかめしい顔の取り合わせに顔を上げたとたん噴出してたんこぶを造る羽目になったが。





 後日町で霊園に落ち武者の霊が、という噂を聞いた機甲侍の一人が苦虫を噛み潰したような顔をした。


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