身体を機械化しているとはいえ、機甲侍も腹が減るのである。

 街に繰りだした道化見習いは、ふと、目に止まった蕎麦屋で蕎麦を食べることにした。

「らっしゃいっ!」
 頭にねじり鉢巻き巻きつけた親父が、威勢のいい声で出迎える。

 道化はカウンター席に座り込み、なんにしようかなぁ、と店内を眺めると、『蕎麦しかないよ♪』という赤文字が壁から天井までぎっしりと書き込まれているのを発見した。

「……そ、蕎麦ください」
 それ以外に選択肢はないようだ……。
 入って早々、道化はあきらかになにかをミスった気がしたが、ひとまず、それは置いておくことにした。

「あいよっ! 蕎麦イッチョー!」
 蕎麦しか頼むものがないのにそんな大声だされても……。

 道化は戸惑いを隠すため顔を伏せた。
「お客さん、ウチの蕎麦はね、そりゃもう美味いって評判ですからね、そりゃもう期待しといてくださいよぉ!」

 どうやらこの親父、威勢だけはいいようだ。だが道化は、美味いと聞いてすこし期待したのも事実で、ちょっとうきうきしながら湯飲みを手に取った。

「…………」
 湯飲みにまで『蕎麦しかないよ♪』って赤文字でびっしり書き込まんでも……。

 どうでもいいことだが、もしかしたらこの店の名前は『蕎麦しかないよ♪』なのかもしれない。

「はいよぉ! 当店自慢の特製蕎麦お待ちぃ!」
 道化の目の前に蕎麦の入った椀が差しだされる。
「…………」
 親父、親指、椀を持つ手の親指が汁に浸かってる……。

 道化は、なんてお約束なことをやりやがる親父だろうと思いつつも、これはもしかして、ここツッコミどころだよ♪ とでも暗に示しているのだろうかとも思った。だが、ここでツッコミを入れるのもなんだか癪なので黙って親父から椀を受け取る。

 さて、では、親父の特製蕎麦を頂くとしようか。
 箸入れから箸を取りだし、道化はするっと一口――

 道化はぶっ倒れた。

「ははは、お客さん、いくら美味いからってそりゃもう大袈裟すぎるってもんですよぉ」

「殺す気かッ!」
 勢いよく立ち上がり、親父に食ってかかる。なにかぬっとりした食感、なんとも表現しがたい刺激臭、舌に焼きつくような酸味、どうすればこんな蕎麦が打てるのか不思議で仕方ない。

「親父ッ! 一体なに入れたんだッ!」
「なにって……そりゃもう特製のあっしの靴下を――」
「なにいれてんだよッ!」
 道化は決意した。絶対この店潰してやる! 明日、吏族に掛け合ってやる! と。


「前にきた客にはそりゃもう好評だったんですけどねぇ」
「知るかッ!」
 荒々しく席を立ち、道化が店をでようとしたそのとき、

「お客さん、勘定がまだですぜ」
 親父が信じられないことを言いだした。
「まさか、取る気か、これで?」
「そりゃもう、ウチも商売ですから」
「……冗談だよな?」
「お客さん、あっしはね、人生これまで、そりゃもう真面目に生きてきたことだけが取柄なんですよ。冗談なんて、生まれてこのかたついたこともないですぜ」

 笑顔だった親父が真顔になって答える。そして、どうでもいいことだがこの親父、どうやら「そりゃもう」が口癖のようだ。

「まさかお客さん、代金踏み倒そうなんてつもりじゃないでしょうね?」
 瞳を鋭く光らせて、こちらを睨む親父。
 くそ、なんであんな物食わされたうえに金まで払わにゃいかんのだ。だが道化は、ここでこうして親父と睨みあいなどしてるのも馬鹿馬鹿しいと思い、

「わかった、払えばいいんだな、払えば」
 とっとと払って、そのままその足で吏族の所に行くことにした。覚えてろよ親父、この恨み、必ず晴らしてくれるか……あれ? おかしいな、財布が……。胸元を探っても両袖を探っても財布はでてこない。あれぇ?

「お客さん、どうしたんですかい?」
「い、いや、ちょっと待て、確か袖か胸元に……」
 道化は何度も何度も確認するが、いっこうに財布はでてこない。

「やっぱり、代金踏み倒そうとしたんですね」
「い、いや、ちが――」
「おい、ちょっとこっち、きてもらおうか」
 がしっと親父に襟首を掴まれ、引きずられるように店の奥へと引っ張られる道化。

「違うんだ、誤解だ、離せッ! はなせー!」
 叫ぶ声も虚しく、道化は店の奥へと連れて行かれてしまった。


 その日、ある蕎麦屋の前で、一体のカラクリ人形が呼び込みをやっている姿を、何人かの者が目撃したそうである。

続く

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