○人種:東国人(周辺環境:四季・入り組んだ地形・稲作・紙と木で出来た家・火山)

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 四季というものは厄介で寒暖だけへの用心ですむものではない。それゆえ四季を持つこの国の人間は非常に根気強かった。
 天からの授かりものを排除するのでも操作するのでも無く、天によりそって四季を楽しむ呑気さもこの国の特徴である。

 春になれば桜が咲いたと歌って踊り宴会をし、夏になれば向日葵に西瓜と海へと走る、秋になったら実りのお礼と神様へのお祭を、冬になったら椿だ雪兎だと駆け回る。身近に花を植え、春がきた夏がきたと四季を楽しむこの国民はいついかなる時でも楽しむ強靭な精神ももっていた。

 田園と花ばかりが目に付く国ではあるが、重要な機関は藩王の住む居住区の地下から続く空洞へと置いているあたり、見た目通りののほほんとした国民ではない。
稲作にいそしむことや、入り組んだ地形を生活の場とすることは立派な足腰の鍛錬になり、巡ってくる冬に室内で行なう手慰みは器用な指先を鍛えるのに丁度いい。
 元々この国は火山活動が活発な地域であったが、そのうちのいくつかは現在休火山となっており、複雑な地形を醸し出す緑豊かな山となっている。この入り組んだ地形で育つ彼らは空間認識能力も高く、ちょっとした違いを記憶する短期記憶にも長ける、それは山と森と海とを生活の場として暮らしてきた彼らが少しずつ少しずつ鍛え磨き上げた能力の一つでもある。おそらく森の動物との戦い(熊とか猪とか猿とか狼とか)のせいでもあろう。極まれにではあるがこぶしの戦いで友情が芽生えたりもする。そのせいかどうか、山育ちの民は稲作を営む人々より血気盛んである。
根気強く好奇心旺盛なこの国の人たちは、新しいものが手に入れば作ってみよう、改造してみよう、改善してみようと興味津々で取り掛かるのである。(そういう性質である為この国民は釣りも上手い)

 新古ひっくるめて受け入れ、それに矛盾を感じない柔軟さは戦闘中にも発揮され、自然とともに生きることで磨かれた感覚と、季節を乗り越えて呑気に笑う図太さで戦場を駆け抜ける。


稲作


 水田の緑、山々にあふれる木々の蒼と緑豊かであることがこの藩国の第一の特徴である。この国を訪れて第一に気がつくことは、山肌の一部が段々畑になっており、そこで水稲が栽培されていることだ。これには食料の生産という役割だけではなく、ダムの代わりとしての治水対策の一環という意味もあり、水田の維持は国家としての基本プロジェクトといえる。
 水田には高い水質改善効果があるため、山岳地帯から流れてくる水も、かなり下流までそのまま飲めるぐらいの清流を保つことができる。その結果、水質が良いところでしか生息できない珍しい昆虫や植物がまだ生き残っており、これもまた観光名物の一つとなっている。
 さて、我々はこれら地上の水田を天田と称している。
 地上の水田ということは、他にも水田があるということだ。
 稲作重視は地上に限った話ではない。藩国の各所に鉱山があり、その廃鉱や天然の洞窟を利用した水耕栽培も行われているのだ。これを天田に対して地田と呼ぶ。
 地下で農業というと奇異に聞こえるかもしれないが、温度は地下から湧き上がる温泉や地熱で調節できるし、風量・光量を調節できるため、面積あたりの収穫量は地上を上回っているのだ。コストはかさむが、もともと(厚い花崗岩の層に守られた地下離宮や政府施設といったように)地下に人が生活するためのインフラ整備の方が先行しているため、あまり問題とはされていない。むしろ年間を通じての収穫が可能であり、地下に広がる水田や各種水耕農場は人々の心に安らぎをもたらす効果の方が大きいというのが一般的な評価だろう。これは単なる、酸素の供給源、備蓄食糧という以上に大きな役割に違いない。
 米はこの国の食糧供給の柱である。稲は粉にひいてパンに加工する手間が不要なだけ麦より糧食としての価値は高いという側面もあるが、それは些末な問題に過ぎない。文化なのだ。どの家庭も丸餅や五平餅を常備してアフタヌーンティー代わりに供するかと思えば、おにぎりのレパートリーが120はなければ一人前の料理メードではないと言われるのがこの国だ。
 地下の洞窟温泉にゆったりとつかりながら、その熱で育った稲から採れた米が生み出した清酒を一杯......というのもなかなか風情があって観光客はもちろん、藩国民にも人気のレジャーとなっている。もちろん未成年・下戸の者にも甘酒という楽しみがある。
 この国は米の国でもあるのだ。

火山「百花山」

 この国を形作ったもの、そして現在もこの国に多くの恩恵をもたらしているものである。

 過去に、この火山は活発に活動していたらしく、その名残は現在の複雑な地形や地下の洞窟郡、そしてその豊かな鉱脈に見ることができる。今より300年ほど前にその活動が終息して以降、噴火等表立った活動は観測されていないものの、国のあちこちから沸く温泉や、一部地熱の高い洞窟などが散見されることから、未だに死火山ではなく休火山であるとの見解が専門家から出ている。このため、国民の中にはいつ火山の活動が再開するかと心配する向きもあるが現在のところその兆候は見られない。
 火山が作り出した複雑な地形は、四季の変化を顕著にして風光明媚な風景を作り出すと同時に、その恵みを大きなものとしている。山から吹き下ろす風は風力発電として、また、噴火の際に地下に形成された洞窟郡は、さながら迷宮のように入り組んでおり、観光資源や地下水田、地下基地、藩王の秘密基地など広く活用されている。溶岩が冷却される際に形成された豊かな鉱脈については、そこから算出する金属類が国内の産業に活用されており、経済を下支えする重要な一因となっている。
 このように、火山による恩恵は大きなものであり、国民達は恐れながらもその恵みに感謝しながら日々を暮らしており、霊峰百花山と呼んで崇めているのである。

 今後もこの百花山は、この国を穏やかに見守っていくであろう。


〜洞窟からのレポート〜

 火山の裾野近く、人里から少しはなれた森の中に足を踏み入れるとひんやりとした影が体を包む。獣しか通らぬ草の道を少しずつ進むと、一際高い草の壁が現れ、それを押し分けるとそこに開けた空間があらわれる。
 大きな岩が地面に連なり、それを根で囲い込むように木が天へと枝を伸ばす。大岩の隙間を這うような緑の蔦を目で追えばやがてぽっかりと開いた地面の穴へと気づくだろう。
 耳を澄ますと水が聞こえる。葉のすれる音、枝の軋み、鳥の無く声、猪の唸り、人の雄叫び......もとい、最後の二つはともかくとして、森の音の隙間を塗って、水の流れる音が耳へと入ってくる。

 一歩足を踏みれると冷えた水気のある空気が頬を撫でる。手で蔦にしがみつくようにして垂直に3メートルほど降りるとやがて水に削られた丸石にぶつかる。僅かに濡れた地面から冷気が這い上がり、灯をもって入らねば、自分の鼻先さえ見えぬ暗闇が広がる。

 灯をもって入るならば暗闇の中に数本の道が浮かび上がる。
緩やかに下へと向かっていく道筋。幾重にも分かれる道。迷路のように道は無数に別れてゆき、明るさの感覚が無くなる頃、火山活動が活発だった頃の名残か、人が二人ほど縦に入りそうな天井から石のつららがぶら下がり、地面からは石柱の盛り上がった鍾乳洞へとたどりつく。
 地面は三センチほどの水が絶えず地面から滲みだし、流れている。そのせいか水が熱を吸い取り、洞窟内は四季を通じて肌にひんやりとする温度で変わることがない。国の下を自由に走る洞窟の中、時折誰かが冷蔵庫変わりにスイカを冷やしていたりするのはご愛嬌というところか。(入り口は森の中の一つでは無く、街中からも入り口は幾つもある)
 一見蜘蛛の巣のように捕らえどころ無く、国の地下を走っていると思われる鍾乳洞ではあるが、実はある一定の規則にそってはしっているのである。有事の際にこの鍾乳洞の中へと避難し、またここからほかの場所へと逃げることが可能なように、この国の人間にはわらべ歌のように小さい頃から道が教えられる。彼らは遊び歌としてそれを覚え、地下を自由に走る鍾乳洞の中までも、自由に歩けるようになるのだ。


木と紙でできた家


 この国を特徴づけるポイントの1つが「紙と木でできた家屋」である。正確には「紙と木と竹と土でできた家屋」だが、こうした建築物を見ることのできる藩国は多くはない。この特徴的な建物は、この国独特の気候と大きな関わりがある。
 この国では四季の温度差が他の国より顕著で、夏は高温多湿、冬は寒冷地並に寒くなるという特徴がある。少しでも快適に過ごすため、夏は涼しく、冬は暖かくする必要があったのだ。
 しかし、自然と共存する我が国ではエアコントロールによる室温調整は可能な限り避けたいという国民気質があり、自然な方法での気温調整としてたどり着いた先が木造建築であった。建物自体が湿度と気温を調整して夏は涼しく、冬は暖かく保ってくれるのだ。
 そういうわけで、人々は紙と木を利用した建築物に意匠を凝らすようになった。3匹のコブタの物語ではワラや木の家はオオカミに吹き飛ばされるけれど、人々はそんなことは気にしていない。
「吹き飛ばされたなら、前よりもっと良いものを作れば良いだけだ」
 またあまりに暑かったり寒かったり、あるいは暴風や豪雨で家が吹き飛ばされそうなときは、厚い花崗岩に守られた地下に潜れば良い。そこは1年を通じて気温が一定し、静かな世界だ。そう。3匹のコブタは最後はレンガの家に隠れるのだ。そしてこっちの方が広くて頑丈だ。だから人々は1年の半分を地上で暮らし、残り半分を地下で暮らすとも言われている。そして地上にいるときは、体いっぱいに自然の息吹を感じ取ろうとするのだ。
 気づくことのできる観光客は多くはないけれども、それぞれの家屋の軒が深いのもそのためだ。長く張り出した屋根の部分によって、窓を開けていても雨が入らず、カーテンを閉めずとも直射日光があたらずに自然な空気を堪能することができるのだ。
 また紙と木の家のもう1つの特徴は、開放性があるということだろう。簡易間仕切り的に稼働したり取り外しが容易な扉や壁を多く使用しているため、なにかあればすぐにそれらを取り外して何十人何百人が集まることのできる集会場を作り出すことができるのだ。
 自然を大切にし、家族や友人たちとのコミニケーションを大切にする。それがこの藩国の人々の大きな特徴なのだ。

四季

 この国は四季がある。これがあるということは、季節は常に変化しているということである。

 花が咲く。ほんの少し空の色は薄く、散る花弁は欠けたところのない木からはらはらと空を覆い、薄紅の風が国中を一撫でする。春が来たのだ。
 この国の人間は四季の何をも厭いはしないが、この薄紅の木が国を覆い尽くす春と、黄金の稲穂が頭をたれる秋をことのほか喜んで迎える。春は始まり。長い冬を抜けて命が産声を上げる春は、薄紅色の風で目覚める。
 桜が咲いた、桜が咲いた、人は桜の下で歌い、また春がきたことを天に感謝し産声をあげた命を敬う。歌い踊り、宴を。実りの雫で酔いながら、人々は春に喜んで笑う。

 春だ春だ、と。


 この国の夏は向日葵の季節だ。
 そこかしこに向日葵が咲き誇っている。道ばたに、庭先に、公園に、公共施設の回廊沿いに、そして建物や洞窟の中に入っても小さな植木鉢サイズの向日葵がずらりと並んでいるのがこの国の夏だった。非常識といっても良いくらいだ。しかし国中が黄色に染め上がるというわけでもない。確かに大半は黄色い向日葵だが、中には赤いヒマワリや白いヒマワリが混じってアクセントをつけているので、話だけで想像するほどのインパクトはなく、むしろ夏らしさを強調し、楽しいものとして受け入れるためのアクセサリーとなっているのだ。
 またこれら品種改良された向日葵たちの種はおつまみに、あるいは植物油の材料にも加工されているが、最近では音に反応して葉や茎を揺らして踊るタイプや日光を備蓄して外敵に対して放射するサンビームフラワーなども登場してきている。


 命の夏の終わりは地面から這い上がる冷たさではじまる。

 山の裾野から、天へと赤が駆け上がって、森が忍び寄る秋の気配に一枚一枚と衣を脱ぎ、鮮やかな緑はやがて黄色や赤へとその色を変えていく。

 秋の山は姫君の裳裾のように緩やかにその紅を広げ、平野はその色で実りの時期が来たことを知る。実りは黄金たなびく平野だけではなく、山にもその恩寵を与え、森に住む動物達は来るべき冬の為に、豊かに実る果実や木の実をたっぷりとその毛皮の内側に溜め込む。少し寒い風の中、この国は赤と黄金に染まる。


 この国の冬は椿の赤が印象的だ。夏の間は向日葵に隠れていた生け垣のそこかしこに、真っ赤な花を咲かせているのだ。
 他国では、咲き終えた椿の花が丸ごと落下するのを「戦士の首が落ちるようだ」と嫌うところもあるようだが、この国のサムライはむしろ「俺を倒そうと思うなら、首を一撃で切り落とすことだ!」「敵の首をこのくらい見事に落としてこその戦士だ」とむしろ好む傾向にあるようだ。まったく犬らしいポジティブな発想である。
 また椿もまた向日葵と同じく油を絞られ、貴重な薬や油として用いられている。



 どの季節でも、咲き誇る花たち。

 この国の花は綺麗というだけではなく、実も伴って常に私たちと共にあるのだ。

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